溺れる鈴木

毎日に溺れている。明るく楽しく。

自虐を含んだ笑いは、懺悔と贖罪に似ていると思う。

名言っぽく言ってしまったが、ただ、自分の恥ずかしい部分を周りに認めて欲しい、これで間違ってないんだ、と思いたいだけなのかも知れない。

 

31年生きてきて、これまでの自分を振り返ると、黒歴史はたくさんあるな、と思う事が最近多々ある。

その度に「俺って痛いやつなんじゃないか?」という不安と恥ずかしさで、ああもう、穴があったら入りたい、寧ろ山奥の寺にでも出家して、悟りを開いてしまいたい、自然との対話だ、などと、下手の考えを巡らせ、なにか手っ取り早く安心できる方法はないかしら、と携帯をいじってるうちに缶ビールを一本飲み干し、気が付くと夢の中に吸い込まれているのである。

 

思えば、今まで何かを成し遂げた、やり遂げた、と感じた事は未だない。いつも満足なんか出来なかった。自分はもっと優れた人間だ、人より優れている、なんて、心どこかで思っていたのかもしれない。その自分に対する誇大妄想が、今までの黒歴史を作り上げていたのだろうと、今になって思えるようになった。

代表的な黒歴史として

「俺ウイスキー詳しいぜ発言」

恥ずかしいので要点のみ話すと

・バーで漫画やネットや、本当に詳しい知人の受け売りで、何も知らない後輩にあたかも自分の知識のように話す

・そもそも酒弱い

・無理して色んな種類飲む

・ベロンベロンになり、介抱される

・次の日、「俺いつもあんな感じなんだぜ」的な、破天荒アピール

 

ああ、出家したい…痛すぎる……

 

もし、タイムマシンがあるなら、その薄っぺらいドヤ顔をさらす前に後ろから硬めの棒かなんかで思いきりひっぱたいて、お前はこれでも飲んでろと、カルアミルクでもぶっかけてやりたい。

 

でもこうやって、恥ずかしい話をさらしていくことで、人との距離を縮められるなら、それはきっと素敵な事ではないかと思う。あと、最初に言ってしまえば取り繕う必要が無くなる、という副作用もなかなか良い。

 

とはいえ、ずっと音楽にだけはしがみついてきた。これからもそうすると思う。

 

「等身大の歌詞!共感の声!」みたいなキャッチフレーズが付くような曲は作れないだろうけど、腹の中に溜まった悔恨や、憤怒や、哀しみや、諦めや、希望の残滓をこれからは歌って行きたいものです。